8-04 オアズマンシップ

トップページに戻る 目次に戻る
第八章、第四項。タイトルは、オアズマンシップ です。 時間は約四分です。
一、オアズマンシップ。
オアズマンシップとは本来は、ボートを操る技術のことです。しかしスポーツマンシップと同様の、精神的な意味合いで用いられてきました。ルール、マナーを守り、競漕相手に敬意を持って行動するフェアプレイの精神、ベストをつくすこと、チームワークそういったものです。

二、ロウアウト精神。
ロウアウト精神とは、レースの最後の瞬間まで全力で漕ぎつくす姿勢のことです。 全力を尽くさないことは、全力で競おうと練習してきた競漕相手に対し失礼だ、とも言えます。

三、一艇ありて一イチニンなし。
一艇ありてイチニンなし、と、一つのボートを漕ぐクルーには、ばらばらの個人はなく、一心同体だ との意味で使われます。 しかし、動作を一つにしての競漕は、きれいごとではなく、苦しくて漕ぎやめたくてもやめるわけにいかない、機械の歯車のようになることです。 しかし強制ではなく、スポーツの中で「自ら進んで」歯車になる体験が、心を鍛えていきます。
別の言い方をすれば、「クルーには、エースもヒーローも要らない」ということです。
スティーブレドグレーブは、千九百八十四年から連続五個の金メダルを獲得した、英国の偉大な漕手です。 糖尿病と戦いながら金メダルを得たシドニー五輪の優勝会見で、「競技を終えたら、レースに出た選手全員と互いに健闘をたたえ合いたい。 僕らはメディアに話をするために競技しているのでは決してない」と話しました。 立派な表彰ステージの勝者と敗者のメディアの扱いの落差、それに引きずられる大会運営への苦言でした。 レドグレーブが偉大なのは、その金メダルの数によるのではなく、オアズマンシップを本当に理解し、体現しているからです。 これは、共同通信社ウェブサイト「シドニー日記」、「五輪選手はみな平等/王者の気骨に触れる」よりのエピソードです。

四、みんなのためのスポーツ。
ボート競技に、「ハードネスに耐えられる限られた人間だけに許されたスポーツ」といったイメージを重ねる人がいます。 「選ばれしモノだけのスポーツという言い方もあります。個人のプライドは理解できます。
しかしもし、その発想が、うぬぼれや、「だめなヤツはこのスポーツをする資格はない」といった方向に傾くとしたら、それは大きな間違いです。 スポーツとしてのロウイングは、懐が深く、漕ぎたい人の誰もが、ルールとマナーを守りながら、その人なりのできる範囲でできるなりのスタイルで漕げる、そんなスポーツの世界を作るべきです。
自己的なロウイングから、クルー、チームワークへの意識の展開は、さらに拡大すれば、隣人のロウイングを支援する意識になります。

以上で、オアズマンシップ の説明を終わります。