パラR/視覚障害/ロウイングの歴史

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項番号1の2。 タイトルは「ロウイングの歴史」です。 二千十四年一月十三日版. 約6分で,ファイルサイズは約十四メガバイトです。
  手漕ぎボートの記録は古代文明までさかのぼります。
しかしここでは、十八世紀以降の近代のボート競漕の歴史について、年表を読み上げる形で説明します。
千七百十五年、ショウトク五年.イギリスではじめてボート競漕が開催されました。この大会は現在も続いています。
千七百七十五年、アンエイ四年.ロンドンで最初のレガッタが開催されました。漕艇競技が世界に広がり始めました。
千八百十五年、文化十二年.オックスフォード大学にボートクラブができました。学内対抗レースが始まりました。
千八百二十九年、文政十二年.オックスフォード大学・ケンブリッジ大学の対抗レガッタが始まりました。
千八百三十九年、天保十年.ヘンリーレガッタが始まりました。米国のハーバード大学でも漕艇が始まりました。
千八百四十七年、コウカ四年.英国で、キールのないシェルフォアが登場しました。
千八百五十三年、カエイ六年.座席を、磨かれた板にして、その上にラードを塗り、足を使い始めました。
千八百五十四年、安政元年.長崎の海軍伝習所の教科に、漕艇の記録がみられます。
千八百五十六年、安政三年、シェルエイトがヘンリーレガッタで優勝し、シェル艇時代が本格化しました。
千八百五十七年、安政四年、米国のバブコックがスライディングシート艇を実験しました。その後約十二年で実用化されました。
千八百六十六年、慶応二年、横浜で英国人がバージクラブを創立しました。
千八百七十五年、明治八年、英国からフレデリック・ウィリアムス・ストレンジが来日し、大学予備門の訓導となりました。
千八百七十七年、明治十年、この頃、国内大学の有志が漕艇部を創立しました。
千八百九十二年、明治二十五年、フランス、スイス、イタリア、ベルギーの4カ国で、国際漕艇連盟、エフアイエスエー、フィサが創立しました。
千九百五年、明治三十八年、早慶レガッタが始まりました。
千九百十九年、大正八年、日本最初のシェル艇対抗レースが,東京大学と早稲田大学で行われました。
千九百二十六年、昭和元年、名コーチのフェアバーンが、ローイングノートを書きました。
千九百二十八年、昭和三年、日本がオリンピックに初めて参加しました。 関東大学選抜のつきフォアと、石井がシングルスカルで出ました。
千九百三十四年、昭和九年、この頃まで、オーソドックスソウホウが主流でした。
千九百三十五年、昭和十年、この頃、米国のコーネル大学では、全米エイト学生選手権に、盲目のドンモーガンを整調に起用しました。
千九百三十九年、昭和十四年、第二次世界大戦が勃発しました。 文部省が、学生の運動競技を、休日以外禁止としました。
千九百四十三年、昭和十八年、学徒体育大会が全面禁止となりました。
千九百四十四年、昭和十九年、第二次世界大戦でオリンピックが中止されました。戦局が悪化し、全ての競漕会が中止になりました。
千九百四十五年、昭和二十年、第二次世界大戦が終わりました。隅田川の向島で競漕会が復活しました。
千九百四十六年、昭和二十一年、国民体育大会が始まりました。 瀬田川でナックルフォアが使われました。
千九百五十年、昭和二十五年、この頃、ニューヨーク・モウ教育大学、現在のニューヨーク特別教育大学の教授、セス・ウィークス・ホアードが、視覚障害の生徒の訓練として、多くの盲目の生徒に、ロウィングを体験させました。
千九百五十一年、昭和二十六年、瀬田川で、第1回,全日本社会人実業団選手権が開催されました。
千九百五十三年、昭和二十八年、瀬田川で、第1回,全国高校総体が開催されました。
千九百五十七年、昭和三十二年、早慶レガッタは沈没レースとなりました。のちに小学校の教科書に載りました。
千九百五十九年、昭和三十四年、ヨーロッパ選手権で西ドイツが圧勝しました。アダムソウホウとマコンブレードが登場しました。
千九百六十二年、昭和三十七年、スイス、ルツェルンで第1回の世界選手権が開催されました。 日本からは二十四名が参加しました。
千九百六十四年、昭和三十九年、戸田漕艇場が完成しました。 東京オリンピックが開催されました。
千九百六十八年、昭和四十三年、国体でシングルスカルが始まりました。 フィックスが廃止されました。 千九百六十九年、昭和四十四年、全日本女子選手権が始まりました。
千九百七十四年、昭和四十九年、高校総体でシェルフォアが始まりました。 第1回の大学選手権も始まりました。
千九百七十七年、昭和五十二年、木製オールに代わって、エフアールピー製のオールが本格的に普及し始めました。
千九百八十年、昭和五十五年、モスクワオリンピックでは、西側諸国がボイコットし,日本もボイコットしました。
千九百八十一年、昭和五十六年、スライディングリガー艇が登場し、世界選手権で西ドイツのコルベがシングルスカルで優勝しました。 ただし千九百八十四年には禁止されました。
千九百九十一年、平成三年、コンセプトツー社がビッグブレードを開発しました。 高校総体、国体でナックルフォアが廃止されました。
二千年、平成十二年、シドニーオリンピックで、日本の男子軽量級ダブルスカルが初の6位に入賞しました。 世界選手権では、男子軽量級クオドルプルが初優勝しました。
二千二年、平成十四年、スペインのセビリアの世界選手権で、はじめてアダプティブ種目が開催されました。
二千五年、平成十七年、世界選手権がアジアで初めて、岐阜で開催されました。
二千六年、平成十八年、日本アダプティブローイング協会が設立されました。
二千七年、平成十九年、世界選手権に、日本から初のアダプティブ代表チームが派遣されました。
二千八年、平成二十年、北京パラリンピックで,ボート種目が始まりました。
二千十三年、平成二十五年、アダプティブロウイングは、パラロウイングに呼び方が代わりました。
以上で,ロウイングの歴史を終わります. これからの歴史を,あなたが、ひらいてください。